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自然農&無農薬・無化学肥料栽培をし始めてはや10年、。気が付けば30代も後半に、。 日々のうんちゃらかんちゃらをとぼとぼと記録していく日記です 有機農業・車いじり・ネコ・考え事、、。 なんだかカオスだけど、それが僕。
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農民新聞社さん発行『農民新聞』にて連載中!!
2018年04月25日号掲載!

※前回の記事はこちら
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農業高校特別編 農業高校生独特の青春 農業鑑定競技とFFJ①
~今回は前編です~

僕が進路を具体的に定め、進む最初のスタートとなった農業高校。そこでは、農業高校生達の独特の青春が、送られています。現在は職業高校が漫画やテレビ等で紹介される機会も増え、一般にも理解してもらう機会は増えましたが、やはり分かりやすい入り口の紹介にとどまっている気がしています。今回は少し踏み込んで「ガチ勉強目的系農業高校生の青春」について紹介したいと思います。

農業高校には、日本学校農業クラブ(FFJ Future Farmers of Japan 以下農ク)というものがあります。農業高校独自の全国組織で、他の農業高校との交流も多い組織です。ちなみに、農業クラブ関係の年間行事も多いため、各校の農業クラブ長ともなると、生徒会長よりも存在感や権限(裁量)が大きい印象すらありました。生徒会での発言力も大きかったように思います。

そんな農クのイベントで、全国の若き猛者たちが集結する全国大会が、毎年行われています。内容はというと、各校クラブ長が一堂に会するクラブ員代表者会議に始まり、独自に決めた課題について大学の卒業研究のごとく研究を進め、その成果を発表するプロジェクト発表や、農や園芸にまつわるスピーチ発表を行う意見発表会、平板測量・情報処理・家畜審査・フラワーデザインといった競技種目、といった、各校・各地区を代表して選出されてきた者たちの、熱き戦いと交流が繰り広げられる催しとなっており、取り組む生徒たちはひと夏をその準備に全力で注ぎこむことから、「農業高校生の甲子園」とさえ、言われていました。


つづく

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農民新聞社さん発行『農民新聞』にて連載中!!
2018年03月25日号掲載!

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高校も後半が見えてくると、「研究者を目指すにしてもバイテクはよしておこう。有機農業や環境保全に関わっていける研究はないものだろうか」「研究者への道がないのであれば修行に行くのはどうか?一般的な社会生活からは外れることになりそうだが、実践者はいるのだ。訪ねていくのもありなのでは」等と思案し、日々の学びの他にも先の進路を模索するようになりました。

「福岡正信式の自然農法の田んぼで昆虫の研究をしている教授がいる」「里山の圃場をグループで管理しながら、有機農業を営む研究をしている大学がある」他、当時手段が少ない中でいくつかの事例を調べ上げ、『社会から外れずに仙人になるには』という難題に向けての道を模索するようになっていました。

当時一般的にはなりきれていなかったインターネットでしたが、オタク趣味があったのでうちには通じていました。ネットを見ても現在のようにたくさんの情報がある時代ではなかったのですが、大学等のホームページは存在していました。覚えたての電子メールを、研究室のページにあったアドレスを手打ちして、送ったりしたのです。

あまりメールも来ない時代だったのか、そんな礼も知らない10代からのメールにも、教授先生から返信をいただくことができました。「今は偏差値で大学を選ぶ学生ばかりだ。君のように目的意識を持って進学してくれるのなら、非常に楽しみである。ぜひ受験し、合格して下さい」と、温かいお返事をいただき、とても嬉しかったのを覚えています。結果その大学は落ちてしまい残念ではありましたが、「頑張り次第、行動力次第では、学術機関も遠い存在ではないのだ」そう思うことが出来るようになった原体験となっています。

現実には、『ともすれば農の実践をしたいのに、若い時期を無駄にすることはできない』と、第一希望への進学はあきらめ、遠く宮崎の私大に進学することにしました。ほとんど未知の地、宮崎。しかし運命的にも、最も望んでいた形での学びが出来ることに、なったのです。

つづく
―――――――― 以上本文 ―――――――
―――――以下は著者の独り言です―――――

~そして今思っていること~
現在、有機農家として栽培していますが、不思議なことに有機農業を行っている人の中にも、昆虫に疎かったり、雑草には興味がない人が、思いのほか多いのが、残念というか、意外なのでした。僕はそれらが好きで有機農業を始めたのだけれど、人によっては「邪魔者」以上の感覚を持っていないこともあって、びっくり。

農業高校編はこの辺で終わりになりますが、高校で学んだことは授業や研究以外の所でも、今の営農知識の礎になっている部分がありますので、次回特別編「農業高校生独特の青春 ~農業鑑定競技とFFJ~」でお送りします。

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農民新聞社さん発行『農民新聞』にて連載中!!
2018年02月25日号掲載!

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ひょんなきっかけから、ぐいぐい自然農法や自然農の魅力に引き込まれ、高校3年生の頃には庭にテントを張って自給自足を試みようとしていた頃、当時(2001年頃)は『無登録農薬問題』等で「食の安心・安全」という言葉が世間で使われ始めた時期でした。『肥料取締法』の改定に向けて大きな動きがあったり、『有機JAS法』が施行されたりして、農業高校教員に対しての説明会が学校で行われていました。飛び込みで先生達に混ざって参加し、質疑の時間では先生そっちのけで中心となって質問をしていた記憶があります。

「有機農業が公にも認められ始めた。実践をしている人もいる!僕ももっと直接的に、環境保全に資する農業に取り組みたい!自然界の理の中に身を置いて生きていきたい」
やっとバイオテクノロジーの本格的な研究をする段階になったころには、僕の気持ちは完全に里山と自然農的な農業に向かっていました。外にも出たいはずです。

窓の外、圃場で研究をしている他コース専攻の友人の様子も見えます。自然農の本を読ませてくれた友人は『自家製ぼかし堆肥の研究』等をやっていました。超楽しそう。同じ微生物を扱うことではあれば、、あっちの方が面白そうだ。うぅん、外に出たい。
そんなエネルギーが強まりつつあった頃合い。
手元を見れば、試験管と寒天培地と植物片。入学当時よりは格段に詳しくなったバイオテクノロジー。付随して知ったバイオテクノロジー界の現状が、ありました。
遺伝子組み換え等をしても、現状使われているのは除草剤耐性など、企業の利益に関わる部分ばかりでした。なおかつ付随する環境破壊や、倫理上の問題、未知の危険性への危惧等、今でもそうですが、当時はバイオテクノロジーに対する反発的問題が山積していました。私自身、「それなら取り組みたくないな」と、思う所があったので、「研究者を目指すにしてもバイテクはよしておこう。有機農業や環境保全に関わっていける研究はないものだろうか」「研究者への道がないのであれば修行に行くのはどうか?一般的な社会生活からは外れることになりそうだが、実践者はいるのだ。訪ねていくのもありなのでは」等と、思案するようになりました。

つづく
―――― 以上本文 ―――――
――以下は、著者の独り言です――

伸るか、反るか。今考えても結構な転換期だと思います。
現在は有機農家として、主要農作物種子法の廃止と、種苗法にその一部を位置づけるという事務次官通達についての勉強会を企画していますが、「国民の食糧主権・食糧安全保障を守るためにも、主要な作物や優れた品種の開発、維持保存は税金を投じてでも国(政府・行政機関)がするべきなんじゃあ、お願いするべきなんじゃあないだろうか」という立場からの勉強会の企画となっています。もしもバイテクの研究者になっていたら、「遺伝資源を民間に明け渡してもらおう。よりよい品種はもちろん作るが、その権利は法律でがっちり守ってもらおう。これはビジネスチャンスである。どうやったら、売れる品種が作れるかな」という内容の勉強会を企画していたのかも、、。

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農民新聞社さん発行『農民新聞』にて連載中!!
2018年01月25日号掲載!

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「今やっていることも面白いのだけれども、、外に出て土や作物に触れたいなぁ」
高校の卒業研究をする頃合いになると、そんなことを思うようになっていました。

『幼いころの約束も叶えたい』『中学の先生はじめ、皆に応援してもらって「研究者への道を進む」と宣言して送り出してもらったのだから』『非農家が自給自足をしたり、新規就農するなんて、社会的・経済的に成り立つのだろうか?』 そんな思いもあって、バイテクを選択していたのですが、
『研究者になりたいという現実的な夢こそかりそめ的なもの。端的に言えば、仙人になりたいと言うのが本心』『自然界の理を知って、うまく活用し、自らもその一部として生きていく。自然と人とが折り合いをつけて共存している「穏やかでゆるい里山環境」、幼少期に過ごしたような環境の中で生活したい。』そんな意見が顔をのぞかせてきていたのです。農業に関してがむしゃらに学び、本心をごまかしてコントロールしていたつもりが、もはや抑え切れなくなってきていました

もともと持ってた「里山回帰願望」。火をつけたのは全然農業とは関係のない所。放送中だったテレビアニメでした。当時の僕はがっつりオタクな高校生。オタク的ゴールデンタイムでの放送だったため、意識もせずリアルタイムで見ていたアニメの、作中の描写から「自然農・自然農法」を知ることとなったのです。

きっかけをくれたのは2001年放映の「地球少女アルジュナ」という社会派アニメーションでした。当時のオタク受けはド底辺、過激なトラウマものカルトアニメとしてしか知名度を持たなかったアニメですが、福岡正信氏をモデルにした老人が出てきて、人里離れた山奥で川口由一方式の自然農をしていたのです。「虫も、草も殺さず、耕すこともしない、生き物任せの田んぼじゃ。この食べ物はやがてお前さん自身の体になってゆく。未来の自分の姿だ。虫も、草も、大地も、未来の自分である。一つになれる。この世にはもとよりいいも悪いもありはしない」遭難してきた普通の女子高校生である主人公に、ご飯を食べさせ、田畑を見せて、あの風貌のご老人がそんなセリフを投げかけるのです。僕の興味をひかないはずは、ありませんでした。

このアニメの監督さん自身が当時自然農をやったりしていて、アニメ雑誌に「川口由一」「福岡正信」の文字が出ていました。当該雑誌の監督インタビューからその農法と両氏を知り、調べ回っていた所、偶然時を同じくして、同級生が「妙なる畑に立ちて」を読んでいました。えっ、それどこで見つけたの!?僕にも読ませて!!と。

そこからはぐいぐい自然農法と自然農の魅力に引き込まれ、高校3年生の頃には庭にテントを張って自給自足を試みよう と、計画書を書いたりしている程でした、。今思い返すと、若い熱量と勢いってのは、すごいですね、。(笑)

つづく

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農民新聞社さん発行『農民新聞』にて連載中!!
2017年12月25日号掲載!

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もうすぐ年末、今年も激動の年でしたが、年末くらいはゆっくりしたいなー。
ということで、めがね農園も年越しと正月支度に向かい動いています。クリスマスともなれば野菜も雪の下。仕事もひと段落させて、冬の出稼ぎ「酒仕込み」に向けての生活空間の土払い。畑には微生物がたくさんいるから、その子たちを酒蔵に持ち込まないように、結構気を使います。
他は何か特別なことをするわけではないけれど、町の農家組合の慰労会があったり、消防団の年末夜警があったり、12月後半からは行事ごとが多くなります。都会的な人には「それって仕事!?」ってコメントをいただくのですが、田舎で生活する者にはとても大切なこと。「地域に置いてもらって、生かされているんだなぁー」と実感しながら過ごす、田舎のあたたかい年末年始の姿だと思っています。
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一般的に「水と油」「相反するモノ」という扱いを受ける有機農業とバイオテクノロジー。
でも、本当にそうなのかな?真逆に見えるほどのところまで突き詰めてみると、、、、
当時僕が生物工学の現場で感じたことを、ちょっと皆さんにも文字で体験していただこうと思います・・・。
隔絶された瓶の中で、熱心に菌糸を伸ばす糸状菌(キノコ)、ちょっとのミスで、その瓶の中に同居を始めるカビのコロニー。発酵もうまくいったりいかなかったり。目的外の微生物が混ざれば、出来上がるものは途端に別物になってしまいます。普段の暮らしでは多量に目にすることのない微生物でも、純粋に集めて培養することで、その生き様や働きは、とても分かりやすく、確かめやすくなるのでした。
培養室内の別の瓶の中には、生長点だけに磨き上げられた植物が居たりもしました。
緑色で、透き通っていて、とても純粋な命の欠片。それはそれはきれいでした。
キノコの培養室には光るキノコが沢山あり、暗くて、しっとりとしていて、心地よい定まった温度。
照明を落とすと、薄黄緑にキノコたちが光り出し、キノコがもともと暮らしていた原生林で、星でも見ているかのような、幽玄な空間になりました。
研究室や培養室は、命の箱庭の中にいるような気持ちで、それはそれで、僕には心地の良い空間でした。
当時まだ、生物工学というと「最先端・白衣を着て学がある人がやるもの。どんどん最新の技術が出てきて、僕たちは未知なる未来に進めるんだ!!」そんな社会的評価でした。
対して有機農業は「伝統的。もう途絶えたような昔の知識を掘り起こして、それが最高だという人がやるもの。文明開化する前の、原始時代に戻れというのか」そんな社会的評価でした。
でも、現代を生きている僕らの社会的評価は、どうなったでしょうか
生物工学に「やりすぎ。倫理的にどうなの?権利がどうこう言って、種苗屋が食糧を独占するの?」対して有機農業には「環境に負荷を与えないやり方っていいよね、体にも健康的でいいよね」なんて、評価が付くようになった気がします。
過去の評価も現代の評価も、どっちも本当。
「どれが完璧!!」って、無いと思うのです。
90年代ぐらいまで、善悪2原論じゃあないけれど、「悪は悪、善は善 この世にはそのどちらかしかない」みたいな考え方が主流だったような気がします。
車に乗るのか 馬車に乗るのか
科学の粋か伝統農法か
でも、違くないですか? いいところはいいんです 悪いところは、悪い。
お互い良いところだけは尊重し合って、よくないところは最小化を目指して、
いいとこどりしていくのが、一番いいやり方なんじゃあないの?
バイテクを学びたいと思った大きな動機も環境保全。
有機農業をしたいと考えたのも、環境保全に資するから
環境保全に対するアプローチの仕方と見た時には、決して相反しも、対立もしない。「環境保全に資する活動を行うためのイチ手段」ということで、仲間になるのである。
対立対決じゃぁなくて、いいとこどりのハイブリッド。
やっと時代もそうなってきた。僕はその流れで、いいんだと思っています。
つづく

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農民新聞社さん発行『農民新聞』にて連載中!!
2017年11月15日号掲載!

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私の脳みそは根っからの文系なのであるが、どういうわけか、興味方向は昔から理系のジャンルにありました。
数字だけは嫌いなのですが、虫、植物(雑草)、実験、工作。そんなことが、大好きでした。
幼稚園の時には同級生と「将来お互い科学者になろう」と、エキスポか何かで恐竜ロボットが写っている雑誌を見て語っていました。瓶に色んな植物の欠片を入れて最後にツクシの胞子をかけ、生えてくるカビの様子を観察したりして、「バイオ、バイオ。培養、培養」等と言いながら、遊んでいたりもしました。

幼き頃の友は覚えていないかもしれないが、そんな約束を叶えてみたい。
瓶の中で、「何だか科学の粋を駆使する」それも、おもしろい。
「お役所の中にいながらの仙人」そう、「研究者・学者」さんを目指そう。

そんな思いもあり、高校では果樹や野菜の栽培は専攻せず、バイオテクノロジー(生物工学)を専攻しました。当時遺伝子組み換え等は大学の学習範囲で、高校ではオールドバイテク(やって細胞融合)までしか、することはありませんでしたが、数字嫌いで実験好きの僕がワクワクするには、それでも充分でした。
バイテクは「生物工学」と名のある通りその範囲は生物全般に渡ります。但、僕のいた農業高校では、地域柄キノコの栽培関係と、園芸高校だったせいか、花や果樹の研究がメインでした。畜産は無かったなぁ。意外だったのは加工食品の授業が多かった事でした。味噌やヨーグルト、当時できなかったけど醸造についてとか。
「発酵」は人間がさせてるんじゃなくって、エサを得た微生物がしていることなんだよ。人間はそれに手助けをするだけで、後は恩恵にあずかる。「生物の働きを工業的に生かす」だから「生物工学」なんだよ。と、教わりました。

今やっている有機農業の世界からすると、生物工学は「あってはいけない技術」とされがちなのですが、当時僕が生物工学から学んだもの、それは品目、作柄、地域性や経済性等、生き物とのかかわり方を超えた、微生物や植物すべてに共通する知識でした。真逆に見える有機農業を営む中でも、その時の経験や知識は、今の営農の中でも活きてくることが多いです。

真逆に見えてしまうぐらいの突き詰めた場所。実は正面に、一番近いのかもしれませんね。

つづく

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台風21号の雲の晴れ間より。リンゴ畑の景色。当地は思ったほどの被害は出ませんでしたが、全国的にはかなりの強風だったようで心配です。
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農民新聞社さん発行『農民新聞』にて連載中!!
2017年08月25日号掲載!

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面接試験の練習、小論文(作文)の練習と、中学校では推薦入試に向けてサポートをしていただき、おかげさまで農業高校に合格することが出来ました。「進路の道が狭まるよ」と当初は難色を示していた両親も、この頃には農業高校へ進むことを応援してくれていたように思えました。
ただ実は入試は冷汗ものでした。環境問題に関心があったのと、育種の現場を見て「農家の出身ではないけれど、農業関係に進みたい」となったところがあったので、「環境問題を解決できるような、画期的な作物を作る育種がしたいです」というようなことを、面接で語りました。しかし「サボテンにお米が出来て、干ばつ地域の人でも食料に困らなくなるような作物を作りたい」などと、夢ばかりで知識のない発言をしてしまい、面接官の先生に「植物の科を越えての細胞融合なんて、できないよ」と言われて硬直する場面があったりしたのです。
「それでもやりたいんです」 と、当時は押し切りましたが、落ちたと思ってしょげていました。
「付け焼刃と思いだけでは通用しないなぁ。」入学前から、専門高校のキビシさを思い知らされたのでした。
農業高校では、文字通り畑違いの各ジャンルの中から、専攻を選ぶこととなります。
僕は育種に関わってみたかったので、今生このタイミングでは、バイオテクノロジー(生物工学)を専攻することにしていました。他にも果樹、野菜、花や穀物、学校によっては畜産や農業簿記等もあり、それぞれの面白みがあります。
本当は、「やるなら仙人っぽい、無農薬・無化学肥料で、自給自足的な有機農業がやりたい」
そうも思ってはいたのですが、「就農したい」という以上に「クレイジーだ、気でも狂ったか」
そういう扱いを受けていた時代であり、まだ、表立って言うことは出来ませんでした。
特にここは農業高校。先生もスペシャリストです。生半可な付け焼刃では通用しない、、(経験済み)
「ここはひとまず一般的な農の知識を一巡学んでおこう。」
『お役所の中にいながらの仙人』そう、『研究者・学者』さんを目指そう。
がちがちの仙人ではない、現実的な選択肢。今回はそちらへの道を、広げてみることにしたのです。

つづく
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今はキュウリが最盛期です!!毎日キュウリのお世話~!!


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農民新聞社さん発行『農民新聞』にて連載中!!
2017年07月25日号掲載!

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自分のこれまでと、進路に対する考えの、全校生徒の前での発表。
いつも日陰で空気のように過ごしていた学生にスポットライトが浴びせられ、注目を一斉に浴びるという、思い返せば面白い光景が、そこに出来上がりました。
『どうせ緊張してしまう』発表中は原稿に顔をうずめ、聴衆の様子は見ないようにしていました。が、原稿を読み終わり、礼をするために顔を上げると、顔をうずめる前に見た皆とは、違う表情をしたみんなが、そこにいました。
「これだけ具体的に夢を語れるやつはいない」「すごいね」「信念を持って生きてるんだね!」等と、

これまで 日向の世界で活躍しているように見え、憧れの対象でしかなかった同級生の皆が、同じ日向の世界の人に話しかけるかのような喋り口で、次々に感想を述べてくれました。押し寄せるように近づいてきてくれて。
数日間、不思議な感覚に見舞われました。その後も、何だか同級生が、敬意をもって見てくれているような感じでした。「みんな応援してくれているんだなぁ」そう、感じました。
急に華々しい世界に立つことになり、眩しさに目がつぶれてしまいそう、、。そんな、劇的な中学校後半を過ごすある日、ふと、騒動の原点である、農業試験場の周辺に、行ってみたくなりました。そして誰を誘うでもなく、ふらりと一人で、行ってみたのでした。
農業試験場の周辺は、それはそれは静かでした。きこえるのは用水路わきでそよぐススキの音だけ。
農業用水路に泳ぐハヤの群れを見ていると、通りがかった作業着のおじさんに話しかけられました
「コンクリで3面固められた用水路なんだけれどね、いるんだよね、こいつら。」
「頑張って生きてるよね」
「こいつらがいつまでも、こんなトコででも生きてけるように、守っていってください」
『見てきた自然環境を守って』
その問いに、私は嬉しくなり、「はい」と、答えてしまいました。
絢爛たる日々の中での、本当に静かで、暖かい時間。今でも時々思い出す、私とおじさんしか知らない、約束。
もしかしたら作業着を着たおじさんは、神様か仙人の、仮の姿なんじゃないかな?
なぜだか当時、そんな風に感じていました。が、ともあれ、ついに知らない人の中からも、応援して下さる方が、出てきたなぁとも感じていました。
『これは、やれということだ』やりたい という思いが、 やらなければ に、変わりました。
自分を追い詰めるぐらいに突き詰めて、全力で何かに取り組んでいる時だけではあるのですが、
具体的に夢を持つと、なぜだか、応援してくれる人が現れたりするものです。当時初めて実感しました。具体的に夢を持つことの恩恵。ありがたいことに、いまだに、ことのあるたび、あずかっています。

閉塞感のある日々を過ごしてらっしゃる方には、具体的な夢を持つこと、オススメします。
つづく

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2017年06月25日号掲載!

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「『業』はやれずとも、『農の世界』に進みたい」そう少しだけ具体的に志向するようになった私。進路指導も始まる頃合いだったので、進学希望は地元の農業高校で出しました。
「なんで、農業高校なんだい?」
(出た、この質問。そりゃそうだ、非農家なのに。)そう思いながらも、これまでの顛末と自分の思いを、担任の先生に打ち明けました。
「ほう、、。」先生は一段真剣な表情で話を聞いてくださりました。これまでたびたび見てきた、もの知らぬ若者をバカにした大人たちの目つきでは、ありませんでした。

いつも目立たぬ学生が、突然人生と具体的な夢を語り出したので驚いたのかなあ?私は、そんなことを思いながら話を続けました。
一頻り話を聞くと先生は
「それだけ具体的にやりたいことが決まっているのなら、応援してあげるよ」「推薦入試って知ってるか」と仰り、農業高校に推薦を出してくださることになりました。また、
「お前の思い、全校生徒の前で示してやってくれ」
と、将来の夢を発表する機会を作ってくださりました。

何度も文章をやり直し、先生と発表の練習もし、活舌の悪い私はただただ大きな声で読むことを心掛け、当日に臨みました。ただ、発表の内容は友人達には知らされていなかったようです。
「静かなやつが何かやってる。面倒な役を押し付けられてるなぁ」当日までそういう印象だったのだと思います。
発表当日、発表前の記憶は、あまりありません。「自分は自分の思いを読み上げるだけ」当時はその程度にしか考えていなかったようにだけ、記憶しています。
自然の中で育ってきたこと、それを守りたいと思ったこと。農業試験場と言う所があるということ、そこで見てきた景色、研究内容。そして、「僕はそんなところで生きていきたい。だから農業高校に進む」ということ。
まだ未熟なりに、原稿用紙いっぱいに、自分の言葉で書いた文章を、
体育館の壇上で、やけくそなくらいの大声で、読み上げたのです。

つづく

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2017年05月25日号掲載!

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幼少期、言葉や知識を持ち合わせないなりに「仙人になる」という、漠然とした夢を持ったはいいものの、
その方法は、誰に聞いても知りませんでした。

中学校に進んでも、もやもやとした夢は消えずにいました。
しかし、5教科しか教わらない世界で、仙人になる方法などわかるはずもなく、当時はまだインターネットも黎明期で、自ら調べる手立てもありませんでした。

農家という選択肢もすぐに浮かびましたが、
農家でないものが農家になるなんて、「何考えてんだ?」の、時代でした。
すでに農家か、農家になろうとなんて絶対しない人しか、周囲にはいなかったため、
「農家なんかやめとけ、自分でなるもんじゃない」そう言われることは多々ありましたが、農家になる方法は、誰も示してはくれませんでした。

そんな中学時代のある日、
母が「農業に関心があるのなら行ってみたら」と、新聞の記事を見せてくれました。
「農業試験場一般公開日」そう、書かれていました。
偶然にも須坂市には、県の主要な試験場が集まっていたのです。
「お役所かぁ。なんだか遠い存在だなぁ」
そう思いながらも、行ってみることにしました。

着いたのは作物部。水稲や麦の育種、栽培方法の研究等をしていました。
季節は初夏。収穫直前の黄金色の麦と、青々とした稲が、風に揺られて海を作っていました。
「いい景色だなぁ」田んぼの中で育った私には、とっても気持ちのいい世界が、広がっていました。
「こんな景色の中で一生過ごしていけたらなぁ」少年だった私の、素直な感想です。
また、品種の保存も、事業として行っていました。
「種子も古くなると途絶えてしまうからね、何年かに一度、畑に降ろして、また種を取るんだよ。ずっと、続けてるんだ。」試験場の職員さんが、少年にもわかりやすいよう、かみ砕いて説明して下さりました。現在、種子法廃止で取りざたされている最中の「行政による食糧確保の基本事業」を、その時初めて知りました。
当時の私は「ただ、ひたすら、種を守り続けてる。みんなが生きるための、食糧の元の、種。みんなが生きるための、いのち。ずっと連綿と守っているんだ。」と、感銘を受け、また、
「皆の命を守り続けるって、仙人みたいだ」「この景色の中で生きていきたい。お役所さんの中にありながら仙人暮らし、悪くはないなぁ。」という思いに至り、
「『業』はやれずとも、『農の世界』に進みたい」そう少しだけ具体的に志向するようになったのでした。

つづく

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プロフィール
HN:
ねこひげ@めがね
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1985/03/30
職業:
農家。
趣味:
にゃんこ、みぜっと、さんぽと旅。
自己紹介:
~ここ最近のあらすじ~
10年経っても諦められなかった夢、
自分の中でもぞもぞした夢。
叶えてその後、10年が経ちました。

『農家』になってはや10年、。
人もうらやむ夜更かし昼寝。自由が利くのはいいけれど(笑
手伝ってくれる仲間も出来た。、あとは稼ぐだけ!!のトコまで来た(笑
まぁそこまで。 まだ稼げてはないんだなぁ、、。
稼ぐ以外のやりたいことは、やり切ったからいいんだけどね✨


お客さんにもボカスカ買っていただけてる。「インディーズ ファーマー」って肩書は取れたw
あともうちょっと、。人が羨むぐらい稼いだら、世の中も勝手に変わるんじゃないかと思ってる、、。

まぁ、焦るな焦るな。忙しい中でものんびりと。納得のいくように、やりますv


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愛車、ミゼット2。小学生の時に気になり、「いつかは乗りたい」ともやもや過ごし、運転免許を取得した帰り、中古屋さんで偶然の出会い、そして即購入。以来17年、一緒にいてくれています。
今はお庭でお休み中。でもまたいつか、走りたいね。
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愛猫みるくは、大学の2年目、生後6日の所を拾い、そこから一緒に暮らしてきました。この4月、17歳で逝去しました。
早かったなぁ、長かったなぁ。
いつもありがとう、今もありがとう。

そんなこんなの僕なのでした。


2022 04月 更新。
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