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ついに今月末日をもって、「主要農作物種子法」が廃止されます(-_-;)
「無くなるものを嘆いたってしょうがない」「でもこのまま放っておくとどうなるの?」「じゃあ今何ができるんだろう」「ていうかそもそも種子法って何?農家じゃないから関係ないでしょ?」
そんな疑問にお答えするためのイベントが、今週末に開かれます。
僕の所属する長野県有機農業研究会と、仲間が運営・共同代表を務めているNAGANO農と食の会の合同イベントとなっております。
(当日券もあるけれど、前売りだと少しお得なので、よかったらお声がけください(笑))
これって今結構大ごとになっていて、国が廃止を決めたのに、「それじゃ困る」と心ある各都道府県が、独自に各県の種苗を守るために条例を制定し始めたりしています。
「国が辞めたのに何で都道府県で守ろうとしてるんだろ?」そう思ったあなた、とてもするどい。
そう、「守らないとヤバいから」です。
廃止になる『主要農作物種子法』は、戦後食糧確保の必要性が誰の目にも明らかだった時代にできた法律で、「国民の食糧・またそれになる種子の供給・確保の責務は、国と都道府県が負う。当たり前だろ!」という、カッコいい法律で、それを根拠法としてこれまで各都道府県の研究機関が、コメ・麦・大豆の原種や原原種(皆がごはんで食べる品種の、さらに元になるもの)を、維持管理・保存してきたのでした。
でも昨年、ほんとに突然です。政府の『規制改革推進会議』からの提言ということで、ほとんど国会での審議もないまま、廃案が可決されてしまいました。
理由としては『民間企業が種子ビジネスに参入しやすくするため』だそうですが、、、。もう参入してますよね? タキイさん、カネコさん、トーホクさんもナントさんも、何か不利益被った顔してますか???
廃案になることで、主要農作物の開発、維持保存に振り分けられていた国の予算は、「振り分ける必要がない」ものに、なってしまいます。国は「デカい影響が出ないようにしばらくは予算出すよ」と言っていますが、「しばらく」です。裏を返せば「しばらくは出すけど、後々なんて知らないよ。国民の食糧?「輸入すればいい」とか言ってる人もいるんだから、勝手にしてよ。僕らは責任を負わないよ」ということになってしまいます。
うーんまずい、有事の時には、輸出国が「外に売ってる場合じゃない」ってなった時には、皆さん食べるものが無くなっちゃいますよ、、。僕は農家だからいいけど、、。いや、そうも言ってられなくなるんだな、。
それじゃまずいから、民間から、地方から、「種の権利を、食糧主権を守ろう」と声が上がっている「種子法廃止問題」。
たぶん近場で開催される中では最も分かりやすい勉強会の一つだと思います。
難しい話も中にはあるけれど、「子育て中のお父さん・お母さんに向けたメッセージも多分に含んだ勉強会を」と、段どっております。
皆さんお誘いあわせの上、どうぞお出かけくださいませm(_ _)m
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10年経っても諦められなかった夢、
自分の中でもぞもぞした夢。
叶えてその後、10年が経ちました。
『農家』になってはや10年、。
人もうらやむ夜更かし昼寝。自由が利くのはいいけれど(笑
手伝ってくれる仲間も出来た。、あとは稼ぐだけ!!のトコまで来た(笑
まぁそこまで。 まだ稼げてはないんだなぁ、、。
稼ぐ以外のやりたいことは、やり切ったからいいんだけどね✨
お客さんにもボカスカ買っていただけてる。「インディーズ ファーマー」って肩書は取れたw
あともうちょっと、。人が羨むぐらい稼いだら、世の中も勝手に変わるんじゃないかと思ってる、、。
まぁ、焦るな焦るな。忙しい中でものんびりと。納得のいくように、やりますv
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愛車、ミゼット2。小学生の時に気になり、「いつかは乗りたい」ともやもや過ごし、運転免許を取得した帰り、中古屋さんで偶然の出会い、そして即購入。以来17年、一緒にいてくれています。
今はお庭でお休み中。でもまたいつか、走りたいね。
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愛猫みるくは、大学の2年目、生後6日の所を拾い、そこから一緒に暮らしてきました。この4月、17歳で逝去しました。
早かったなぁ、長かったなぁ。
いつもありがとう、今もありがとう。
そんなこんなの僕なのでした。
2022 04月 更新。