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自然農&無農薬・無化学肥料栽培をし始めてはや10年、。気が付けば30代も後半に、。 日々のうんちゃらかんちゃらをとぼとぼと記録していく日記です 有機農業・車いじり・ネコ・考え事、、。 なんだかカオスだけど、それが僕。
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農民新聞社さん発行『農民新聞』にて連載中!!
2017年07月25日号掲載!

※前回の記事はこちら
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自分のこれまでと、進路に対する考えの、全校生徒の前での発表。
いつも日陰で空気のように過ごしていた学生にスポットライトが浴びせられ、注目を一斉に浴びるという、思い返せば面白い光景が、そこに出来上がりました。
『どうせ緊張してしまう』発表中は原稿に顔をうずめ、聴衆の様子は見ないようにしていました。が、原稿を読み終わり、礼をするために顔を上げると、顔をうずめる前に見た皆とは、違う表情をしたみんなが、そこにいました。
「これだけ具体的に夢を語れるやつはいない」「すごいね」「信念を持って生きてるんだね!」等と、

これまで 日向の世界で活躍しているように見え、憧れの対象でしかなかった同級生の皆が、同じ日向の世界の人に話しかけるかのような喋り口で、次々に感想を述べてくれました。押し寄せるように近づいてきてくれて。
数日間、不思議な感覚に見舞われました。その後も、何だか同級生が、敬意をもって見てくれているような感じでした。「みんな応援してくれているんだなぁ」そう、感じました。
急に華々しい世界に立つことになり、眩しさに目がつぶれてしまいそう、、。そんな、劇的な中学校後半を過ごすある日、ふと、騒動の原点である、農業試験場の周辺に、行ってみたくなりました。そして誰を誘うでもなく、ふらりと一人で、行ってみたのでした。
農業試験場の周辺は、それはそれは静かでした。きこえるのは用水路わきでそよぐススキの音だけ。
農業用水路に泳ぐハヤの群れを見ていると、通りがかった作業着のおじさんに話しかけられました
「コンクリで3面固められた用水路なんだけれどね、いるんだよね、こいつら。」
「頑張って生きてるよね」
「こいつらがいつまでも、こんなトコででも生きてけるように、守っていってください」
『見てきた自然環境を守って』
その問いに、私は嬉しくなり、「はい」と、答えてしまいました。
絢爛たる日々の中での、本当に静かで、暖かい時間。今でも時々思い出す、私とおじさんしか知らない、約束。
もしかしたら作業着を着たおじさんは、神様か仙人の、仮の姿なんじゃないかな?
なぜだか当時、そんな風に感じていました。が、ともあれ、ついに知らない人の中からも、応援して下さる方が、出てきたなぁとも感じていました。
『これは、やれということだ』やりたい という思いが、 やらなければ に、変わりました。
自分を追い詰めるぐらいに突き詰めて、全力で何かに取り組んでいる時だけではあるのですが、
具体的に夢を持つと、なぜだか、応援してくれる人が現れたりするものです。当時初めて実感しました。具体的に夢を持つことの恩恵。ありがたいことに、いまだに、ことのあるたび、あずかっています。

閉塞感のある日々を過ごしてらっしゃる方には、具体的な夢を持つこと、オススメします。
つづく

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農民新聞社さん発行『農民新聞』にて連載中!!
2017年06月25日号掲載!

前回の記事はこちら
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「『業』はやれずとも、『農の世界』に進みたい」そう少しだけ具体的に志向するようになった私。進路指導も始まる頃合いだったので、進学希望は地元の農業高校で出しました。
「なんで、農業高校なんだい?」
(出た、この質問。そりゃそうだ、非農家なのに。)そう思いながらも、これまでの顛末と自分の思いを、担任の先生に打ち明けました。
「ほう、、。」先生は一段真剣な表情で話を聞いてくださりました。これまでたびたび見てきた、もの知らぬ若者をバカにした大人たちの目つきでは、ありませんでした。

いつも目立たぬ学生が、突然人生と具体的な夢を語り出したので驚いたのかなあ?私は、そんなことを思いながら話を続けました。
一頻り話を聞くと先生は
「それだけ具体的にやりたいことが決まっているのなら、応援してあげるよ」「推薦入試って知ってるか」と仰り、農業高校に推薦を出してくださることになりました。また、
「お前の思い、全校生徒の前で示してやってくれ」
と、将来の夢を発表する機会を作ってくださりました。

何度も文章をやり直し、先生と発表の練習もし、活舌の悪い私はただただ大きな声で読むことを心掛け、当日に臨みました。ただ、発表の内容は友人達には知らされていなかったようです。
「静かなやつが何かやってる。面倒な役を押し付けられてるなぁ」当日までそういう印象だったのだと思います。
発表当日、発表前の記憶は、あまりありません。「自分は自分の思いを読み上げるだけ」当時はその程度にしか考えていなかったようにだけ、記憶しています。
自然の中で育ってきたこと、それを守りたいと思ったこと。農業試験場と言う所があるということ、そこで見てきた景色、研究内容。そして、「僕はそんなところで生きていきたい。だから農業高校に進む」ということ。
まだ未熟なりに、原稿用紙いっぱいに、自分の言葉で書いた文章を、
体育館の壇上で、やけくそなくらいの大声で、読み上げたのです。

つづく

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農民新聞社さん発行『農民新聞』にて連載中!!
2017年05月25日号掲載!

前回の記事はこちら
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幼少期、言葉や知識を持ち合わせないなりに「仙人になる」という、漠然とした夢を持ったはいいものの、
その方法は、誰に聞いても知りませんでした。

中学校に進んでも、もやもやとした夢は消えずにいました。
しかし、5教科しか教わらない世界で、仙人になる方法などわかるはずもなく、当時はまだインターネットも黎明期で、自ら調べる手立てもありませんでした。

農家という選択肢もすぐに浮かびましたが、
農家でないものが農家になるなんて、「何考えてんだ?」の、時代でした。
すでに農家か、農家になろうとなんて絶対しない人しか、周囲にはいなかったため、
「農家なんかやめとけ、自分でなるもんじゃない」そう言われることは多々ありましたが、農家になる方法は、誰も示してはくれませんでした。

そんな中学時代のある日、
母が「農業に関心があるのなら行ってみたら」と、新聞の記事を見せてくれました。
「農業試験場一般公開日」そう、書かれていました。
偶然にも須坂市には、県の主要な試験場が集まっていたのです。
「お役所かぁ。なんだか遠い存在だなぁ」
そう思いながらも、行ってみることにしました。

着いたのは作物部。水稲や麦の育種、栽培方法の研究等をしていました。
季節は初夏。収穫直前の黄金色の麦と、青々とした稲が、風に揺られて海を作っていました。
「いい景色だなぁ」田んぼの中で育った私には、とっても気持ちのいい世界が、広がっていました。
「こんな景色の中で一生過ごしていけたらなぁ」少年だった私の、素直な感想です。
また、品種の保存も、事業として行っていました。
「種子も古くなると途絶えてしまうからね、何年かに一度、畑に降ろして、また種を取るんだよ。ずっと、続けてるんだ。」試験場の職員さんが、少年にもわかりやすいよう、かみ砕いて説明して下さりました。現在、種子法廃止で取りざたされている最中の「行政による食糧確保の基本事業」を、その時初めて知りました。
当時の私は「ただ、ひたすら、種を守り続けてる。みんなが生きるための、食糧の元の、種。みんなが生きるための、いのち。ずっと連綿と守っているんだ。」と、感銘を受け、また、
「皆の命を守り続けるって、仙人みたいだ」「この景色の中で生きていきたい。お役所さんの中にありながら仙人暮らし、悪くはないなぁ。」という思いに至り、
「『業』はやれずとも、『農の世界』に進みたい」そう少しだけ具体的に志向するようになったのでした。

つづく

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就農初期から、この手のノビロを畑に移し、栽培し続けていました。順調に増え、今年は2m×30mくらいのノビロ畑が出来上がりました。

欲しい人いないかな、春野菜の主力商品にしたいです 笑
         

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今日・明日、須坂の楠ワイナリーさんとガーデン・ソイルさんが共同開催するイベント「Garden Marche Alimentaire 」に、ちょこ~っとだけお野菜を持って出店いたします!
中間地点の須坂アートパークでは、「森の中のクラフトフェア」も、開催中ですv
ぜひ須坂に遊びに来てくださーい。
            

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農民新聞社さん発行『農民新聞』にて連載中!!
2017年04月25日掲載分を加筆修正

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皆さま初めまして。勝山卓栄と申します。
この記事を書いている3月30日、ちょうど32歳となりました。昭和60(1985)年の生まれです。
有機JASを取得し、野菜の栽培をメインに営農しています。
もともとは農家ではありません。そんな僕ですが、よろしくお願いいたします。

長野県の北部、とはいえ厳しい自然の中でもなく、気候も穏やかな須坂市に生まれ、育ちました。
当地は扇状地であり、一大果樹地帯なのですが、僕の育った場所は、少し特殊でした。
扇状地を形成させた河川が現に流れている周りで、水田と、自給程度の野菜畑がある、そんな場所だったのです。
父は勤め人で、大本家でやっと農家という家系でしたが、遊び場は田の畦や、祖父が自給用に耕している畑だったりしました。ドジョウやカエル、ケラを捕まえたり、かまったり、そういう遊びが好きな子供でした。祖父は自営で、そこに来るお客さんにも遊びに連れて行ってもらいましたが、行き先は近所の小山でした。山菜取りやキノコ採り。それが何より面白い遊びでした。
自然と人とが折り合いをつけて共存している「穏やかでゆるい里山環境」の中で、幼少期を過ごしたのです。
当時の思い出が余程楽しかったのでしょう、言葉や知識を持ち合わせていない小学生の頃の夢は、農家ではなく「仙人になること」でした。自然界の理を知って、うまく活用し、自らもその一部として生きていく。
そんな生き方が、憧れであり、理想でした。

現在は、幼少期の夢と、社会生活との落としどころで、有機農業をやっています。中学、高校、大学と、ずっと農家になりたくて、しかしなれなかった自分がいましたが、ついに現在、就農して4年目になりました。夢のスタート地点は過ぎ、現実を見た上で、それでも楽しい夢の最中です。常に綱渡りですが、ドキドキ、わくわくしています。

こんな若輩者の私が記事を担当させていただいても良いのだろうか とも思いながら、
そんな、外から農業を眺めていた時期が長い自分だからこそ思うようなことを、つらつらと綴らせていただければ
と、考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

――記事 完 以下個人データ ―――――――――
氏名 勝山卓栄(かつやま たくえい)
屋号 勝山めがね農園 
住所 〒382-0016 長野県須坂市大字日滝1121-10
(グーグルで検索すると位置が出てきます。)
農園は本部の周囲に飛び飛び点々としております。

規模 露地野菜   約1町歩
水田(作業受託)7反5畝

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種子法撤廃。
以下、長文です。


マイナーな法律ですが、みんなの食べ物の元になっている「種」は、これまで「種子法」という法律で守られ、ある程度の量や品種が消滅しないよう、行政さんの研究機関などで守られてきました。
当たり前な話ですが、食べ物が確保できないと、国民は生きていけなくなり、国が維持できなくなるからです。

ただ、その種子法が、只今撤廃の真っ最中です。
「行政さんが税金で維持して種を持ってたら、企業が品種開発に入れなくて競争が生まれない」のだそうで、
「行政がたねを維持し、守る義務」も、撤廃するそうです

外国からの「非関税障壁だ」という圧力だったり、「農業の競争力強化のためだ」と言われて、断行されているそうです。

「これまでは行政さんが儲けを重視せず安く種を供給していてくれました」が、
行政さんが種の保護をやめ、企業にその管理や供給を全て委ねたら、どうなるでしょう。簡単です。

「コメのモミは明日から一粒100万円な、ヒャッハー!嫌なら死にな!飢えて死ねー!!貧乏人は消毒だぁ~!!」

まるで北斗の拳の世界。
極端な書き方はしましたが、企業がやろうと思えばそこまでできてしまう世の中に、このままだとなります。

企業に頭を下げて、バカ高くても「種子を恵んで下せぇ」と言えない人は、死ぬしかない世の中。
企業に命を握られた世の中

それってどうなんでしょう

極端な話をすれば、
農家は、ヒャッハー!な企業から一粒100万円の種籾を買い、一粒1000万円で消費者に売り付ければ生きていけますが、

皆さん、一粒1000万円のコメ、毎日お腹いっぱい食べられますか?

これは農家の問題だけでなく、消費者、生活者の問題です。
関心を持ってください。死にますよ。



~~~~~以下転載~~~~~

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有機農業推進法10周年 自然と向き合う熱い思いをいま一度

https://mainichi.jp/articles/20170309/org/00m/010/043000c?fbclid=IwAR3veJSvxm7ulZN-NXEiE56Ny315a4TCVP1qiLPbH3hEWN3ZdaqqpDqYEco

という、記事が、毎日新聞さんに出ていました。

世間が理解を示し易くなってくれたのは、先陣を切って生産したり、購入(有機農業の世界では、 提携 って言う取り組みの一部)してくれたり、運動したりしてきた大先輩方の取り組みのおかげが一番だとは思っているけれど、

法律ができて変わったところも、あると思うのです。
きちんと法律全文を読んだ事がないのに語るのはいけないのだけれど、「有機農業推進法」は、「推進していきましょう」という、方針を示したタイプの法律で、罰則規定や取り締まりとかをするための法律ではないのです。
が、法があるからか、行政さんサイドから、具体的な取り組みが行われるようになりました。
それは新規就農者向けの講習会だったり、実態把握のための聞き取り調査だったり。
規模の大小、目に見える支援の有無、そういうものを抜きにして、昔じゃあり得なかったような取り組みが、ぽつりぽつり、。

まだ有機農家自体が(特に若い有機農家)「有機農業って何ぞや」に対して、明確に答えられない人もいる中、
行政さんサイドが「解ろうとしてくれている感」は、最近とても感じています。
まだまだお互い、よくも悪くも誤解があったりもしますが、
わかろうとして下さっている、その事自体が、とてもありがたく、嬉しいです。

それは有機農業の世間全体から見たら、本当にごく一部が変わっただけなのかもしれないけれども、とても大きい意義を感じています。

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めがねを新調してもらいました。
軽くてかけ心地がよく、疲れない、新しい相棒です。
毎日してられる感が、とてもいい。

気持ちも新たに春の野良仕事を始めます。
啓蟄もとうに過ぎ、虫たちよりも動きの遅い私ですが、
ここからガジガジやっていきたいと思っています。

大丈夫、やりたいと思ったことはやれる子だから!!(笑)
       

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雪が溶け、湿りもちょうど良いバランスになったけれど、また雪が降るほど冷える 

ということで、シメシメと、畑の荒起こしをしてきました。
悪さをしてしまうような虫が、まだ蛹として土の中でぬくぬくしているこの時期に、
荒起こしをされて土の表面に出てしまうと、寒さでやられてしまうそうです。

虫の先生に聞いた技術で、時期は少しおそいけれども、
とりあえずトライしてみました。
ちょうど発芽したところの春の草も、同時に程よい感じに、土に還っていただきます。これまで表土を守ってくれてありがとう、またよろしく。と感謝しながら。

           

ほどよく暖かく、ほどよく寒い、須坂ならではの技術。
モノにしたいなぁー。と、思います。

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プロフィール
HN:
ねこひげ@めがね
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1985/03/30
職業:
農家。
趣味:
にゃんこ、みぜっと、さんぽと旅。
自己紹介:
~ここ最近のあらすじ~
10年経っても諦められなかった夢、
自分の中でもぞもぞした夢。
叶えてその後、10年が経ちました。

『農家』になってはや10年、。
人もうらやむ夜更かし昼寝。自由が利くのはいいけれど(笑
手伝ってくれる仲間も出来た。、あとは稼ぐだけ!!のトコまで来た(笑
まぁそこまで。 まだ稼げてはないんだなぁ、、。
稼ぐ以外のやりたいことは、やり切ったからいいんだけどね✨


お客さんにもボカスカ買っていただけてる。「インディーズ ファーマー」って肩書は取れたw
あともうちょっと、。人が羨むぐらい稼いだら、世の中も勝手に変わるんじゃないかと思ってる、、。

まぁ、焦るな焦るな。忙しい中でものんびりと。納得のいくように、やりますv


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愛車、ミゼット2。小学生の時に気になり、「いつかは乗りたい」ともやもや過ごし、運転免許を取得した帰り、中古屋さんで偶然の出会い、そして即購入。以来17年、一緒にいてくれています。
今はお庭でお休み中。でもまたいつか、走りたいね。
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愛猫みるくは、大学の2年目、生後6日の所を拾い、そこから一緒に暮らしてきました。この4月、17歳で逝去しました。
早かったなぁ、長かったなぁ。
いつもありがとう、今もありがとう。

そんなこんなの僕なのでした。


2022 04月 更新。
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